リアルタイムで見てきた中で印象に残っている感動的な巨人の優勝

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最多優勝回数を誇るプロ野球球団巨人!

プロ野球12球団において巨人が一番優勝回数が多いです。

過去をさかのぼるとV9などと数々の感動的な歴史がありますが、その中で私がリアルタイムで見てきた中で、いちばん感動的で印象に残っている3つの年についてそれぞれ詳しく述べていきます。

1.2002年、巨人を原監督が率いた1年目!本来の力を発揮した年

原監督1年目のシーズンでした。

開幕3連敗でスタートし、星野新監督を迎えて話題性豊富な阪神戦で2連敗し、そして続く中日戦にも負けて出だしでつまづいたかに思いました。

それでも過去において何回も優勝経験があって勝ち方を知り尽くしており、百戦錬磨のチームです。

それだからこそ、時を見計らって冷静に落ち着いて軌道修正をして、少しずつ力を発揮しました。

4月の終わりに連勝して4月終了時点で貯金5まで伸ばすことができました。

それから本来の力を少しずつ発揮しました。

6月になり、サッカーのワールドカップの影響で日程が飛び石になりました。

原監督はこの日程を有効に利用して徹底した練習日を設けて走り込みなどを徹底して行いました。

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それだけでなく、他の球団はこの時期に主力投手をフル回転して谷間をつくらないようにしていたが、原監督は夏の暑い時期の連戦を考えて、あえて主力投手に無理をさせませんでした。

とにかくこの6月の飛び石日程を上手く活用したことで夏場において良い方向に事が運びました。

オールスターが終わって後半戦に入ると、松井選手が大事な場面でよくホームランを打つようになりました。

そして勝負どころの暑い時期の8月に入ると、清原選手や高橋選手などの主力が次から次へと離脱しました。

それでもダメージを一切感じさせることなく、どんどん白星を重ねていきました。

特に3番の代役を任された阿部選手がサヨナラ打をよく放ち、「さよならしんちゃん」がもやは代名詞までなったほどです。主力の離脱によるダメージを免れることができた一番の要因は、チームの顔である松井選手の存在とエースの上原投手の存在が大きかったことだと思います。

4番とエースがしっかりとしていることが強いチームの要因のひとつです。

そして9月の下旬に優勝が決まり、西武との日本シリーズにおいても4連勝とストレート勝ちをおさめることができて、巨人ファンにとっては最高の年であったといえるでしょう。

2.2008年、開幕5連敗からの巨人の逆転劇

この年においてはグライシンガー投手やクルーン投手、ラミレス選手などと主力を次から次へと補強したにもかかわらず、開幕5連敗という球団史上ワーストという不名誉な記録を更新してしまいました。

主力を補強したと言え、2007年のオフに小笠原選手や二岡選手らの主力選手が手術し、キャンプでもなかなか調整が上手くいかなかったことも大きく影響していたかもしれません。

このような一進一退の状態が続く中、7月の上旬には順調に勝ち星を積み重ねた阪神に13ゲームという大差をつけられ、もはや自力優勝の可能性すら消滅していました。

それでも8月に入って、北京五輪の恩恵もあって主力選手らが本来の力を発揮し始め、特に小笠原選手の調子が上向いたことが大きなプラス材料でした。

そして9月に入ってさらに勢いは加速し、32年振りの12連勝という大型連勝もありました。

そして9月20日前後の東京ドームでの阪神3連戦で3連勝をしてあれほどまでに開いていたゲーム差を瞬く間に縮めて、この3連戦終了時点で阪神と同率首位にまで並ぶことができました。

そして10月8日の最後の阪神との決戦で勝利をおさめることができて、優勝がかなり近づきました。

そして10月10日についに巨人の優勝が決まりました。

13ゲーム差をひっくり返し、1996年のメークドラマ同等か、それ以上の感動的な出来事かもしれません。

この年の大逆転勝利を振り返ってみると後半戦の大爆発もさることながら、後半戦から阪神との直接対決における勝率がよかったことも大きなプラス材料であったといえます。

3.2012年、怒濤の勝利で巨人の歴史の中でも素晴らしい成績を残した

この年においては最終的には86勝43敗15分と貯金40以上という輝かしい成績で終えることができました。

しかし4月は絶不調そのものであり、4月22日の時点では借金7まで膨れ上がり、もしかしたらこのまま浮上することなく1975年の最下位という二の舞にもなるのではないかという不安も少なからずありました。

しかし交流戦から怒涛の勝利を重ねはじめ、交流戦を17勝7敗という驚異的な勝率をおさめたことがきっかけで、その後の勢いを持続させるきっかけとなりました。

その中で楽天戦で杉内投手の9回ツーアウトまでパーフェクトというおまけ付きのノーヒットノーランという大記録の達成もありました。

さらに阿部選手をはじめ、6人のタイトルホルダーも誕生しました。

特に阿部選手と杉内投手、山口投手の働きは大きかったです。

この年においては4月の時点において一時借金7まで膨らみ、本来ならば借金がどんどん膨れ上がっても不思議ではないが、経験豊富な巨人だからこそ早い段階で軌道修正をして、逆境から立ち直ることができたのかもしれません。

以上、2002年、2008年、2012年と印象に残る巨人の優勝について詳しく述べてきました。

いずれの年において共通なのはスタートダッシュの失敗です。

それでも軌道修正を行って少しずつ白星を重ねて、夏場の勝負所で大いに力を発揮したことです。

このことから巨人は開幕において少しぐらい負けがこんでも、いずれは上がってくるのではないかという印象が強くなったと思います。

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